ある日小さな元述ぼっちゃまは、従者のチンダルレを呼んで言いました。
「チンダルレ。『山ごもり』ってしってる?」
かぞえ年で五歳の元述坊ちゃまは、好奇心旺盛でやんちゃな盛りです。お兄様から習ったばかりの剣術に夢中で、専用の木刀を作ってもらってからはどこへ行くにもそれを提げていました。
「道士や僧侶が、山に篭って修行することですよね」
私が答えると、坊ちゃまは大きな丸い目をきらきらさせて、嬉しそうに言いました。
「山でしゅぎょうすると、うんとつよくなれる」
坊ちゃまが何を言わんとしているのかすぐにぴんと来ました。
「もしや坊ちゃま、山ごもりなさりたいんですか?」
ますます嬉しそうな顔で頷かれるので、私はちょっと困ってしまいました。どこで覚えてきたのかは知りませんが、まだ幼い坊ちゃまにそんな危ないことさせるわけにはいきません。第一、お父様もお兄様もお許しにはならないでしょう。
坊ちゃまは紅葉のような手で私の指を掴むと、さっそく山へ出かける気でした。さあ連れて行け、という顔つきでこちらを見上げます。元述坊ちゃまはまだお小さいので、お一人で村の外へ出たことがないのです。
「待ってください、坊ちゃま。お父様に許可は頂いたのですか?」
私の問いに、坊ちゃまは案の定ふるふると小さな頭を横に振りました。おそらく思い付きをその場で口にされたのだと思います。もちろん、ここではいはいと言うなりになるわけにはまいりません。
稚い坊ちゃまを諭すように、私は言いました。
「坊ちゃま、山は遠いですよ。修行するなら、村はずれの原っぱにしておきましょうよ」
「だめ。山ごもりがいい」
坊ちゃまは子供らしい頑固さで首を振ります。
「だけど、うんとたくさん歩いていかないとダメなんですよ。途中でお腹が空いて、歩けなくなっちゃうかも」
「お弁当もっていく」
そのお弁当はやはり私が作るんでしょうか。
「だけど、山は恐いですよ。熊とか猪が出るかもしれないし……もしかしたら、虎も出たりして」
「クマとたたかう。やっつける! それがしゅぎょうなんだ」
坊ちゃまは舌足らずな声で勇ましくそう言い放ち、「ピョウさまみたいになる」と宣言しました。
なるほど、左別抄の標《ピョウ》将軍の伝記をお読みになったのですね。ちなみにこれは幼年向けの絵本で、三別抄の三英雄それぞれの伝記が叢書《シリーズ》で出ています。それにしても標将軍とは、お三方の中でも一番野性味溢れる方ではないですか。何故、一番有名な仲孫《ジュンソン》将軍ではなくて標将軍……
「坊ちゃまにはまだ無理ですよ。標将軍は身体が大きいし力持ちですから熊でもやっつけますけど、坊ちゃまはまだお小さいのですから。熊に食べられちゃいますよ。山ごもりは、もう少し大きくなったらにしましょう」
「やだ。今がいい」
私はどうにか諦めていただこうと、説得を試みますが、頑是無い坊ちゃまには通用しません。何がそうさせるのかはわかりませんが、頑なに山に連れて行けと言い張るのでした。
それでもここは、諦めてもらわなくてはいけません。従者として、大切な坊ちゃまが危ないことをしないようにお止めするのが役目です。そこで私は、坊ちゃまが私に懐いてくださっている事を逆手に取ることにしました。
「わかりました。でも、私は熊も山賊も怖いですし、今回はお供できません。お留守番してますから、他の人に連れて行ってもらってください」
指を掴んだ手を外して坊ちゃまにさよならをします。するとつぶらな瞳からみるみる涙が溢れ出しました。
「やだ……やだ……いっしょに行って」
歩き去ろうとする私の後ろを懸命に追いかけて、しがみついてきます。
「いっしょに行って……チンダルレといっしょがいいの」
涙声でお願いされて、かえって私はそれ以上毅然とした態度を取ることができなくなりました。ううっ……やぶへびです。自分が坊ちゃまに頼られると弱いのを、すっかり忘れていました。
こんな時に大坊ちゃまがいてくだされば、優しく諄々と諭してくださるのでしょうが、あいにくと二日前から山賊退治の助っ人として、隣の隣の村に出掛けています。もしかしたら、急に修行したいなんて言い出したのはその事が関係しているのかもしれません。お兄様がいなくてお寂しいのでしょう……何しろ仲の良いご兄弟ですから。
強くなったら、お兄様のお手伝いができると考えたのでしょうか。一緒に山賊退治に連れて行って欲しかったのかもしれません。そんないじらしいお気持ちをかなえてさし上げたいのも本音ですが、ああ、だけど、山ごもりは絶対駄目です。無理です。危ないです。
ここはやっぱり、家長の出番でしょう。家長の言いつけであればさすがに坊ちゃまも従うほかありません。
「じゃあお父様にお伺いを立ててみましょう。それで駄目だったら、山ごもりはやめてくださいね」
坊ちゃまはスンスンと鼻を鳴らしながら、涙をためた目で私の顔を伺いました。
「お父様のお許しが出たら、いっしょに行きましょうね」
こくんと小さな頭が縦に揺れました。手を差し延べるとぎゅっと握り返して、嬉しそうにふやっと笑います。そのお顔のなんと可愛らしいことか! 私は脳みそから何かじわっと滲み出そうな気持ちになりました。
きっと旦那さまは坊ちゃまが修行に出るなんてお許しにならないでしょう。それはもう、頭ごなしに叱り飛ばすのに違いありません。それで坊ちゃまが泣かれたらきっちりお慰めします。私のせいで泣かれるのでなければもういいんです。ここはお父様に悪役になっていただきましょう。
さあどうやってお慰めしましょうか。お菓子でご機嫌が治るかしらと、坊ちゃまの手を引いて旦那さまの居室へ向かいながら、私はなんだか楽しい気持ちになってくるのです。おこしとお餅とどっちがいいでしょう。米粉がまだあったかな。
しかし、旦那さまは私の予想に反して、あっさりと坊ちゃまの申し出をお許しになりました。
「それはよい心がけだな。武人たるもの常日頃から己を磨き、心身ともに強くあらねばならん。厳しい自然の中に身をおけば自ずから学ぶことも多かろう。行ってくるがよい」
こんな幼い坊ちゃまを本当に修行に出す気なのですか……と私が驚いていると、ただし、と続けて、
「夕餉までには帰ってきなさい」
厳かにそう言い渡すのでした。
そして小さな元述坊ちゃまはその日、従者と二人で山に登って、お弁当を食べたりリスやチョウチョを追いかけ回したりと、一日楽しく過ごしたのでした。
おわり。
viasxrsqs42282 Eメール URL 2010年12月30日(木)02時33分 編集・削除
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