いつも見上げていたその土地には、たくさんの生き物が住んでいた。だから、遊び相手がいつでもいる、寂しくないと思っていた。
焦がれてある時とうとう彼女とその子供達は、天の土地に降り立った。そこにいるたくさんの新しい友達は、しかし、彼女とその家族に敵意を向けてきた。生まれたばかりの弱い子供が、大勢の住人の手に掛かって殺されることもあった。
そのうちに彼女は土地の住人に擬態することを覚えた。しかし、最初は彼らも仲間だと思って近付いてくるが、すぐに彼女の正体に気付いて逃げてしまう。つまらなかった。
一人だけ、一緒に遊んでくれた子が居た。
その子は彼女の子供を殺した。でも、その子もまた友達を殺され、同じ土地の大勢の住人と殺し合いをしていた。これが、彼等の遊びなのだろうか。でもその子はちっとも楽しそうではない。
見ていると、その子が一人ぼっちになって寂しそうにしていたので、遊びに誘った。彼は「隠れんぼ」という遊びを教えてくれた。とても楽しかった。だから、また遊ぼう、と言った。その子にはそれっきり会っていない。
彼女は時々その子のことを思い出して、彼の姿に模した子を産んだ。だけど彼女ほどの高い知能を持たない子供達は、彼が教えてくれた遊びを満足に覚えてくれない。代を重ねるうちにその姿も彼女達の本来のものへと戻っていく。
夜、天に浮かぶかつての家の影だけが、心を慰めてくれる。昼の世界に出ていけば、この地の住人と殺し合わなければならない。でも閉じこもっているのはもう飽いた。
やがて彼女は子供らを率いて、かりそめの家である岩室を出ていく。
彼女とその子孫は、恐るべき速さで外の世界での版図を広げていった。住人達から向けられる負の感情が、彼女らの姿を次第に歪んだものへと変えていく。
その子孫の中で時折、彼の姿に似たものが生まれるのを、彼女は気付いていない。
**********
妖《あやかし》はよく美女に化けるって言うけどさ、俺達が見たのは子供だったよ。
最初は普通の子供だと思ったんだけどさ。何しろ土地のモン以外滅多に入らない山の奥だろ。あれ、おかしいな、なんでこんなところに子供が? って。
その頃はちょうど、山に入ったきり帰ってこないって奴が多くいてさ。まあ、土地柄、神隠しなんて珍しい話じゃなかったし、いなくなった子供がある日ひょっこり帰ってくるって例もあった。そんな風に、帰ってきた子供かなって思ったよ。
でもさ、色の白い綺麗な顔した子で、知らない顔だし。あんまり垢じみても見えなくて、俺らみたいな田舎モンじゃないなって感じだった。それに変なんだよ。あんな山奥なのに裸でさ。
うん、真っ裸さ。木の根っこの所に蹲るみたいにして、ぼんやり前を見てたんだ。薄気味悪くってね……。大きな二つの目が真っ黒で、ほら穴みたいでさ。なまっちろい肌の、痩せた子供で……。
叔父貴が、おい、どうした、って声をかけた。そしたら子供がこっちを向いた。俺は、なんかあれヤバイよって呟いた。かよわそうな子供だったけど、なんだかすごく怖く感じたんだ。
おい、お前どこの子だ、って叔父貴がまた訊いた。でも子供は返事をしないでじっと叔父貴の顔見てる。瞬きもしないで、作り物めいた顔でじっと見てる……
なんだか急に森中から音が消えたみたいだった。いつもは気にしてなくてもさ、もっと鳥の声とか結構聞こえるもんなのに、その時はいやにしんとして、叔父貴がゆっくりその子に近付いていく足音ばっかり大きく聞こえたんだ。
まるで、その子供の中からヒヤッとした冷気みたいなものが這い出てきて、辺りに広がってるみたいだった。
ざわざわと頭の後ろの毛が逆立つような感じがして、俺は隣に突っ立ってる兄貴の腕を掴んだ。兄貴も顔中冷や汗を流して、金縛りにあったみたいに、子供の方を見ている。叔父貴だけがなんにも気にしないで子供に近付いていく。なんだかふらふらと、魅入られたみたいだった。
「どうした。何か怖い目に遭ったのか」
叔父貴はその子のすぐ側まで行くと、屈み込んでなるべく優しく聞こえるように声を抑えていた。普段はがあがあ怒鳴ってばっかりの叔父貴がそんな声出すの、いつもだったら笑っちまうところなのに、そんな気分にもなれなかったよ。どうして叔父貴平気なんだよ、そいつ怖いよ、ってわめきたかったけど、喉が張り付いたみたいになって声も出ねえ。
はらはらして見てたら、子供が叔父貴に向かって両手を差し出した。小さい子がよくする「抱っこして」って、あんな感じにさ。
叔父貴はもう頭っから、その子供をかわいそうに思ってたのか、よしよしもう大丈夫だぞ、とか言って子供の頭を撫でた。その時、俺と兄貴は確かに見たんだよ。叔父貴が触れた途端、子供の目が金色に光って、花びらみたいな口がぐわっと耳まで裂けるのを。
俺も兄貴もぎゃあって大きな悲鳴を上げた、叔父貴は俺達の声に驚いてくるっとこっちを向いたんだ。怒った顔してさ、おい、子供が驚くだろう、とか言ってんの。叔父貴叔父貴、気付かないのかよ! って俺叫んだんだ。でも叔父貴は必死で気付かせようとしている俺達に腹を立てるばっかりで――その肩から白い手が伸びて、叔父貴の首を掴むのが見えた。その指が、ずっぷりと首の肉に食い込むのを俺も兄貴も目の当たりにしたんだ。
叔父貴の絶叫に、俺達はまたわっと叫んでその場を逃げ出した。もう、叔父貴のことを助ける余裕なんかねえ。命からがらってやつだ。兄貴と一緒でなかったら、俺、腰が抜けてたかもしれねえ。
村のみんなに話したけど、最初は信じてもらえなかった。その晩は怖くて、兄貴と身を寄せ合ってぶるぶる震えてたね。家の外の闇の中に、あの金色の目が光ってるんじゃないかってさ。
それでもどうにか無事に夜が明けて、怖かったけど村の衆と帰ってこない叔父貴を探しに山へ入った。
叔父貴、死んでたよ。からっからの枯れ木みたいにひからびて……。首の両脇に四つずつ、小さな指の痕が空いてた。
**********
「そんな弱虫も、今じゃあ立派な兵隊さんかあ」
同僚のからかうような口調に、彼もにやにやと口元を歪めて応えた。
「あれがきっかけで、軍隊に入ろうと思ったんだよな。結局その子供は、今で言う『悪獣』だったんだ。奴ら、たまに人間に擬態しやがるからな」
天幕の並ぶ陣営のあちらこちらに炊煙が上がっている。戦闘が一段落し、次の作戦が始まるまでしばしの休息だった。食事を早く済ませた彼は、お茶を一服するついでに、同僚に昔の体験を語って聞かせたのだ。
彼の叔父を襲った悪獣は、その後村の男達が総出で山に入り退治することに成功した。死体になったそれは、本性であろう異形の姿に戻っていた。
その時協力してくれた派遣部隊の活躍を見て、自分も兵士になろうと思ったのだ。
「おっ、花郎だ。見ろよ」
同僚が顎をしゃくった先に視線を動かした。白地に濃紺の戦闘服をまとった、聚慎軍の花形部隊だ。悪獣との戦いでも多くの武勲を挙げ、聚慎国軍に花郎部隊ありと勇名を轟かせている。その、国で最強と謳われる剣士達が数人、天幕の間をこちらへ向かってくる。
「あの先頭にいるのが元述郎だぜ。お前まだ見たこと無いって言ってたろ」
へえ、どれどれ。と彼は首を伸ばし、精鋭部隊を引き連れている若い男の容貌を確かめようと目を凝らした。花郎の最上位〈郎〉の称号を持つ剣士は、細身で均整の取れた体躯に秀麗な顔立ちをしており、女官達はおろか若い兵士達の間でも憧れの的だという。
だんだん近付いてくるにつれて明確になるその容姿は、確かに兵士に似つかわしくないほど整っていた。なるほどなあ……。彼はしげしげとその顔を見つめて納得した。ずいぶん可愛い顔の男だな、お人形さんみたいじゃないか。色白の、目の大きな……
(え? あの顔、見たことあるぞ?)
つい最近見たような気がする。小作りな頭に整然と並んだ目鼻立ち。特にあの真っ黒い大きな目が、やけに印象に残っている。
(違う、最近じゃない。あれは……)
同僚に話して聞かせるために、掘り起こしていた数年前の記憶。その、昔の記憶の中に登場した顔だ。彼と、兄と、叔父以外にその記憶に登場するのは――
あの時の子供!
「ううううわ、うわああああっ!!」
彼は絶叫して椅子から飛び上がった。逃げようとした足がもつれてその場へ尻餅をつく。
「わっ、いきなりどうしたんだよ?」
突然大声を出した彼に、同僚が驚いて訝しがる。周囲の兵士達も何事かと振り向き、花郎の剣士達も足を止めてこちらに注目した。
(なんだ、どうしてなんだ。なんで元述郎の顔が、あのときの子供にそっくりなんだ!?)
大人と子供の違いはあるが、目鼻立ちはそっくりだった。あの子供が成長すればこんな感じになるだろう。でも年齢が合わない。そうだ、だってあいつはちゃんと退治されたじゃないか。
元述郎が黒い両目でこっちを見ている。その目が金色に光り、今にも口が裂けはしまいかと彼は慄いた。
(ど、どうなってるんだ……)
わけが解らずへたりこんで震えている彼の方へ、花郎の剣士達を引き連れた元述郎が近付いてくる。
(く、くるな……くるなくるなくるなくるな!)
彼はまた、あのしんとした山奥にいるような錯覚を覚えた。白く整った顔。じっと見つめる黒いほら穴のような目。軍用にしては華奢な白い手袋に包まれた指先に目が行った。あの時の恐怖がまざまざと甦る。あれがずぶりと叔父貴の首に刺さったのだ。今、俺のすぐ目の前まで迫っている!
「おまえ、どうかしたのか? ひどい顔色をして」
一歩手前で足を止めた元述郎が、怪訝そうに彼に訊ねた。それは紛れもなく人間の言葉で、彼は安堵のあまり全身からどっと汗を流した。
「体調が悪いなら無理せず退がっていろ。味方の足を引っ張ることにもなりかねんぞ」
「え……いや……その、なんでもありません。ただびっくりして、その」
元述郎は不思議そうに目を二三度瞬かせた。その色が金色に変わることも無かった。
「その、お茶が……熱かったもので。申し訳ありません。お騒がせして……」
しどろもどろの彼の言い訳に、元述郎はちょっと呆れたようにため息をついて言った。
「そうか。気をつけろよ」
すたすたと歩き去っていく花郎の一行を見送ってしまうと、同僚が彼に向き直った。
彼は未だに心臓がどきどきしていて、一体どうなってるんだ、と考え続けていた。ただの偶然か、他人の空似なんだろうか。偶然じゃなかったら、なんだというんだろう。
「なにやってんだよ、お前。あの別嬪の顔が、妖怪にでも見えたと抜かすんじゃないだろうなあ」
呆然と座り込んで混乱する彼に、同僚が小馬鹿にしたように笑いながら言った。
■後記■
「元述外伝」を読んでから色々妄想しているうちに出来上がった変な話。
悪獣は単体生殖できるのだから、恋が募って彼そっくりの子供が生まれちゃうこともあるかもしんない。言ってみれば想像妊娠してほんとに生まれちゃったわけで。想像で創造! 駄洒落大概にしなさい。
viasxrsqs26711 Eメール URL 2010年12月30日(木)08時23分 編集・削除
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